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べるまの外人
Bellma no Gaijin

過去ベルマーレに所属した助っ人外人達を紹介します。まあそのほとんどは助っ人と言うに相応しいかどうか甚だ疑問ではありますが、いちおう一試合でも試合に出場した選手はすべて書いていこうと思います。かなり記憶の薄い選手も数名おりますが、その辺は資料とか見てフォローしたいと思います。使ってる写真もどっかの資料を拝借しました・・・。ま、いーか。貢献度は星5つで独断と偏見により評価してます。あしからず。
ベッチーニョ
貢献度/★★★★★
ポジション/MF
在籍期間/1993〜1996
J出場試合数(得点)/115(56)
コメント/ベルマーレの10番と言えばこの男。言わずと知れたベルマーレの助っ人史上最高のプレーヤー。彼のひた向きなプレーは、多くを語らずとも他の選手達の方から付いて来た。まさにサッカー選手の模範とも言える。ブラジル代表で言えば神様ジーコのような存在で、いまだにベルサポのあいだでは神様として崇められている。プレースタイルは万能型。ドリブル及びシュートはレベル高!そして闘将ベッチーニョと呼ぶに相応しい勝負に対する執念を全試合で見せてくれた。彼の業績はもはや伝説となっている。

アウミール
貢献度/★★★☆
ポジション/FW
在籍期間/1994〜1995・1996
J出場試合数(得点)/68(17)
コメント/こんにゃくドリブル男。気まぐれで勝手に帰国し解雇される。しかし、翌年チームが不振になると救世主のように戻ってきた。しかし、気はまじめで特に問題児というわけではない。よくいる陽気なブラジル人である。なにげにブラジル代表の経歴を持っているところがすごい。とにかく相手を翻弄するドリブルを得意とし、時にチームも翻弄しそうだがそこは大丈夫。この頃のベルマーレはドリブル主体のサッカーだったので問題なかった。現代サッカーでは通用しないかも知れません。トータルで見て、FWとしての役割は果たしたと思う。

パウリーニョ
貢献度/★
ポジション/FW
在籍期間/1996
J出場試合数(得点)/10(2)
コメント/ブラジル国内では得点王になるなど前評判は高かったのだが、チームに全くフィットせず。どうでも良いナビスコカップで活躍するもののリーグ戦ではわずか2点。前期終了後に途中解雇された。同じく使えなかったモウラ監督と一緒にサヨウナラ〜(^0^)/~

ルイス
貢献度/★★☆
ポジション/DF
在籍期間/1996
J出場試合数(得点)/12(0)
コメント/はっきり言って地味。かと言って玄人好みの職人だとか縁の下の力持ちってタイプでもない。本当に影が薄かった。日影に居すぎたためにかなり色白である。実は影でいいプレーしてたかも知れないけど、残念ながら記憶に残ってません。あ、なにげにサイン貰ってました。性格はいい人です。プレーには関係ないけど・・・。

シモン
貢献度/★★★★
ポジション/MF
在籍期間/1995〜1997
J出場試合数(得点)/50(10)
コメント/ニカノールがベルマーレで初めて導入した新システムのトリプルボランチ。その要としてブラジルから呼び寄せたのがシモンである。エジソンとプレースタイルが非常にかぶる恐れもあったが、ダルシム系が2人もいることは相手チームにとって脅威である。エジソン引退後はスタメンに定着し、豊富な運動量で相手の攻撃の芽を摘み取った。通常考えられない距離から足が伸びたり、タコのように相手にまとわりついてボールを奪うのが得意。さらに、日本で覚えた「泳げ!たいやきくん」を歌うのが得意とか得意じゃないとか・・・。

ロペス(呂比須)
貢献度/★★★★☆
ポジション/FW
在籍期間/1997〜1998
J出場試合数(得点)/55(36)
コメント/ベルマーレ在籍中に日本人に帰化しW杯フランス大会にも出場した。中山雅史の日本代表W杯初ゴールのアシストが印象深い。ベルマーレではコンスタントにゴールを決められる頼れるセンターフォワード。ベッチーニョから受け継いだ背番号10の役割を見事に果たしていた。その証拠にファンサービスを大切にする精神はゴール後に必ずパフォーマンスをすることで表現していた。しかし、尻振りダンスや指をくるくる回すだけのよく判らないものなどセンスはなかったか・・・?

洪明甫(ホン・ミョンボ)
貢献度/★★★☆
ポジション/MF
在籍期間/1997〜1998
J出場試合数(得点)/42(0)
コメント/アジアのリベロとして知名度は抜群。なかでも94年W杯アメリカ大会でみせた弾丸ミドルシュートは有名。ベルマーレではその攻撃力をさらに生かすためにリベロではなくボランチで起用。しかし結果としてはあまり機能してなかった。それでも個人の能力としては非の打ち所がなく、ベルマーレ在籍中に韓国代表として98年W杯フランス大会にも出場。さらに世界選抜に中田英寿と共に平塚から2選手が選ばれるという快挙を成し遂げる。98年の親会社撤退によるリストラで惜しまれつつ移籍するが、移籍先の柏で平塚では無得点だったのにゴールを稼いだことで、なんとなくポイント減。